クローゼットの中にあるモノで、カバンは群を抜いて「もうボロボロで、使うこともないのに、手放せない」という気持ちになるのは、私だけでしょうか?
訪問レッスンのときに、誰にもあげることもできない状態のカバンであっても、それがゴミ袋に入っている光景を見ると、いまだになんだか不思議な気持ちになります。カバンに対して感じていることと、実際に経験していることが、どうもしっくり交差しないのです。
ここからは完全に私の持論ですが、私たちはカバンに対して「相棒」「相方」に近い感情を持っているのではないかと思うのです。
洋服は日々洗い替えをするので、毎日違う服を着ることが多いですが、カバンって基本的に同じモノを毎日使うことが多いのではないでしょうか?基本はこのバック、仕事のとき、旅行のときはこれ、おしゃれのときはこっち…と、ほとんどの方がシチュエーションに合わせた「MY定番」を持っています(だからこそ「思い切って」買ったカバンも多いはず)。
心理学には「ザイアンスの法則(単純接触効果)」という法則があります。「そのモノをたくさん使えば使うほど、(それがいいモノかどうかに関係なく)そのモノへの愛着が生まれる」という心理法則です。恋愛などで、「単純に一緒にいる時間が長い or たくさん会っていれば、相手のことを好きになる確率は上がる」という例を聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
カバンは、この「接触機会」が、群を抜いて多いのです。さらには力持ちで働き者なので、重いモノでもなんでも包み込んで、一緒に目的地まで運んでくれる。「仲間」として共に過ごしてきた!という感覚が強く出やすいモノのひとつなのです。
そして、カバンを持つときに「身の構え」も、カバンと私たちの関係性を特別なものにしています。
一度、自分がカバンを持つときの動作をイメージしてみてください。
脇に抱え込むように。
ピタッと身体にくっつけて。
座るときは、膝の上に乗せて包み込むように。
こうやって書いてみると、カバンと私たちの身体的距離ってとても近いんだなぁということが分かります。特に密着度や、包み込むような持ち方。カバンを手放すときの独特の寂しさとは、こんなところから来ているのかもしれません。
この記事の冒頭で、
「誰にもあげることもできない状態のカバンであっても、それがゴミ袋に入っている光景を見ると、いまだになんだか不思議な気持ちになります。」
と書きましたが、その気持ちをもう一段階深掘りしてみると、「ずっと一緒にいた相棒であるカバンを、ゴミ袋に入れることで、“ゴミ”として扱っている違和感」なのかもしれません。
それと同時に思うことは、私たちは「ゴミ袋=“ゴミ”が入っている」というひとつの認識に、囚われすぎていのではないかと思うのです。
すごく変なことをいいますが、「ゴミ袋に入れた」ということは、ほんとうに「それを“ゴミ”にした」ということなのでしょうか?
世界3大心理学をひとつ、アドラーは「人は、自分の意味づけした世界を生きている」と言っていましたが、「大切なモノを、“ゴミ”として捨てたくない」と私たちが言うとき、「そのモノが“ゴミ”に変わった」のではないのです。そのモノは、そのモノのまま変わらないのに、「そのモノに“ゴミ”という意味づけを、“私”がした」ということなのです。
「カバン」は、下着や靴下と同じくらい「ヨレヨレのおじいちゃん」多発地帯です。
カバンはとっても頑張り屋さん。私たちの身体の外側にはみ出しながら、必需品や貴重品をはじめ、ときには重たいモノを運んだり、床に置かれたり、積まれたり…。普段なにげなく使っているカバンも、この機会にじっくり状態を見てみてください。きっと「思った以上にお疲れ状態」になっていることに気づくと思います。
相棒(カバン)の状態をしっかり観察すること、そして、相棒の気持ちに寄り添うこと。「疲れたよね」という労りや、「いつも一緒に働いてくれてありがとう」という感謝の気持ちが足りないと、モノを手放すことはできないのです。
心を込めて、感謝しきりましょう!
ここ10〜20年ほどのカバンの変遷で感じることは、昔は「デザイン性」重視だったのが、最近はデザイン性もさることながら「機能性」に優れたカバンが求められているのだなぁということです。
特に分かりやすいのが「重さ」。重量は片づけにとってはとても大切なポイントです。自分にとって負担になる重さ=それを使うことで、自分に(喜びではなく)ストレスを与えている。遅まりそれは、自分の幸せにつながらない、ということが言えます。
以前は、「革のバック」と言えば「重いのが当たり前」という認識でしたが、いまは同じ革製でも軽くてソフトな触り心地のものが発売されていたりと、時代は変わりつつあるのだなぁと、カバンを通して感じることが多いです。
他にも
このバックだと開け閉めが大変、とか
微妙になかのモノが取り出しづらい、とか
肩にかけたときに若干短い、とか
こういった「小さな不満ポイント」が生まれやすいのが、カバン類でもあります。(使ってみないと分からないことばかりなので、仕方がないのです。「こういうバックだと私は使いにくいんだな」とそのカバンを通して学べたことに、感謝しましょう。)
カバンに限った話ではないですが、「◯◯用のモノでないといけない」という囚われや、属人性(私専用)にこだわると、モノは増えていきます。
カバンは、専用品が増えがちなカテゴリーです。普段のバック、ちょっとしたお出かけ用、買い物用、通勤用、商談用、子どもとお出かけ用、子どもと公園用、犬のお散歩用、スポーツ用、短期旅行用、長期旅行用、パーティ用、冠婚葬祭用…。
私の場合は、兼用にしたり、家族とシェアしたりしています。
例えば、仕事用のバックは、普段のお出かけでも使えるデザインのモノにしています。使用頻度の低いスポーツ用のカバンは短期旅行でも使えるモノを買い、浴衣用のバックも普段お出かけで使えるデザインにしました。
小さなスーツケースや、使用頻度の低いリュックは夫とシェア。葬儀用バックはいまのところ実家の母とシェア。ほとんど使うことのない海外用の大きなスーツケース、婚礼用のバックはレンタルしています。(カバンではないですが、ほぼ機会のないキャンプ用品や来客用の布団もレンタルにしています。モノも、この世に生まれてきた以上、しまい込まれている時間より、使ってもらう時間が長い方が幸せだろうなぁという考えからです。)
おうちの中にあるモノの8割は、月に1度も使わないモノだと言われています。自分がすべてを持っていなくても、みんなでシェアすれば大丈夫。必要なモノは、必要なときに手に入る。人を頼っていいというゆるし。
それは、「この世界は自分の味方である」という、世界を肯定する力(心理学では「共同体感覚」といわれ、幸せに生きていくために必要な感覚のひとつ)であると思うのです。
カバン類の片づけをしていると大量に出てくるのが「エコバック」や「おまけでついてきた布バック」たち。
どれも「使える」モノだったり、まだ新しかったりするので捨てにくいのですが、この片づけの機会を逃さず、ほんとうに自分にとって必要なモノのみ残しましょう。
これらは、自分がほしくて手に入れたモノではなくて、半強制的に与えられたモノ。それを「捨てる」ことに罪悪感を抱く必要はありません。それは背負いすぎです。「作りすぎ」「必要でないモノを人に渡す」というのは、相手の問題。人のことはコントロールできないですから、人の課題まで背負うのではなくて、自分がそういうこと(作りすぎたり、相手に必要ないモノを与えたり)をしない、ということの方がもっともっと重要なのです。
これまでに、ほんとうにびっくりするほどたくさんのエコバックを捨ててきました。環境への配慮で生まれたものが、たくさん捨てられているというののはなんとも皮肉なことです。そもそも必要ないものは作らない・買わない・もらわない、ということの大切さが身にしみます。
日々よく使うカバンは、クローゼット・押し入れの中でS字フックに吊るす収納がおすすめです。本当は帰宅後すぐにクローゼットなどにしまえたらいいのですが、私のようにズボラなタイプは、カバンの一時置き場を作ってあげると安心です。
わが家ではツルヤ商店の脚付きカゴにポンポン置いて、来客のときなどにクローゼットにしまうようにしています。
↑でなくても、空いているスペースにカゴを置けば、どこでも一時置き場にすることができます。
S字フックは大木製作所の「まわるS字フック」がおすすめです。カバンが横広がりにならないので、収納スペースをかなり有効に使えます。
◎たまに使うカバン
▼布カバン
畳んで引き出しのなか、もしくはカゴを設置してその中に入れましょう。
▼自立できるカバン
クローゼットの天袋、もしくは押し入れの枕棚にキレイに並べて収納します。
自立のしにくいものは、仕切りを使ってあげると◎
押し入れの枕棚が高い位置にあり、手が届かない場合は押し入れ用の棚を追加してあげましょう(2段にもできます)。
▼畳むのも自立も難しいカバン
カゴに収納し、クローゼット・押し入れに設置しましょう。カゴのサイズは約幅37×奥行26×高さ15cmくらいのものがおすすめです。引き出しに入りそうでしたらそれでも◎
旅行で使う大きなバックや、アウトドア用のリュックなど、使用頻度の低いカバンは大きめの衣装ケースに入れて、天袋 or 枕棚に収納しましょう。
https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550512403524
無印良品の「布に貼れるラベルシール」でラベリングできたらプロ並みの収納です!
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それではカバンの片づけ、トライしてみましょう!