「長年フタをしてきた幼少期のことが、全部出てきたんです。ひとりではとても向き合えなかったんじゃないかなって……」
暮らしのスコレに入る前、「自分はもういなくなってもいい」とまで考えるほど何事にも無気力だったという、あんなさん。目の前の生活に必死で、過去を振り返ることも、未来を描くこともできなかったと言います。そこから3年、暮らしのスコレをとおして彼女がどう変わっていったのか。メンバーのインタビューシリーズ、今回は1期から参加しているあんなさん(40代・女性)のお話です。
暮らしの“確かな変化”を目の当たりにして
——まず、あんなさんが「暮らしのスコレ」に入った経緯を教えてください。
最初は、友人を介して出会ったうきちゃんに、家の片づけをお願いしました。ゴミ屋敷のような状態から急激に家の空気が変わって、頭痛が起こるほどの変化でした。絶対に以前のようには戻りたくない!と、うきちゃんに「フォローアップのようなものはありませんか?」と聞いたときに暮らしのスコレに誘ってもらい、すぐに参加を決めました。
——あんなさんは1期から3期まで、ずっと暮らしのスコレを継続しています。入ってみて、いかがでしたか。
正直、1期のときは「あなたは何を望んでいるんですか」と聞かれても、「ずっと寝てたいです」みたいな感じで。とにかく目の前の生活をどうにかするのに必死で、何も考えることができなかった。最初の頃は、仕事での人間関係について相談することが多かったです。
——まずは目の前のモヤモヤやイライラに向き合っていったんですね。
私の仕事は二人一組で進めることが多いのですが、その相方に苛立つことが多くて、「なんでやってくれないの」「なんで私ばっかり」と愚痴だらけでした。講義やセッションで学んだことをいろいろ試すなかで、あるとき、ふと「あ、私がやりたいからやっているんだ」とストンと腑に落ちる感覚があって……すごく説明が難しいんですけど。相手は何一つ変わっていないはずなのに、自分の思考を変えることでこんなにも生きやすくなるんだ!と衝撃でした。
——それはすごい!本当に相手に苛立たなくなったんですか?
今は仲良く雑談したりして、むしろその人と組むのが一番楽だと思うほどなんです。いろいろ試行錯誤して、日常のなかで実践して、初めて自分のなかに落とし込んだからこそですね。スコレでいつも言われている「学んだことを暮らしで活かすことが大事」って、本当にそうなんだと思いました。1期と2期でそういう変化を感じたので、3期も本気で取り組もう、と継続を決めたんです。
「生きるか死ぬか」では“自分の意志”なんてなかった
——3期では、どのようなことに取り組んだのですか。
セッションでは、自分が長年フタをしてきた幼少期のことを丁寧に紐解いてもらったようなところがあって……今まで見ないようにしていた自分の内側に向き合い始めました。
——幼少期のこと、というのは……。
私は10代の頃、両親の離婚などで、祖母や母、父の家を転々とする生活をしていました。預けられた祖母の家は、怒られると物が飛んでくるような環境で、とにかく恐怖で言うことを聞かされていたような感じ。妹がいたので、長女として泣くこともできずにいたんですよね。今思えば、本当に生きるか死ぬかの環境で「目の前の人にとって“いい子”でいなければ」という気持ちがすごく強かった。
——子どもにとっては、周りの大人がライフラインですよね……。
16歳くらいですでに男性依存症のような形になっていたのも、そういうことだったのかもしれませんね。自分主体ではなくて「彼氏ありきの自分」という状態がずっと続いていて、そのうち「相手の言うとおりにしていれば丸くおさまるんだ」と、自分の頭で考えることすらできなくなっていました。もちろん生活はめちゃくちゃになるし、その現実を見たくないから「寝てたい」みたいな。
——“自分”というものを、大切にできていなかったんでしょうか。
そうだと思います。シングルマザーとして子どもを育てながら、「子どもは父親と暮らせばいいし、自分はこの世から消えてもいいんじゃないか」と考えることもありました。孤独っていうか、どれだけがんばっても幸せになれないじゃん、みたいな気持ちが強かったですね。
はじめて描けた、本当に叶えたい“安心できる未来”
——その状態から、スコレを経てどのように変化していったのですか。
セッションで、周りに合わせて無理して「いい子」であろうとしていた幼少期の自分を見つめて、初めて“受け入れてあげる”という経験をしました。親や周囲との関係も、客観的に捉えることができるようになって、今では感情が揺さぶられることも少なくなりました。
——すごい。向き合うのはつらい経験だったと思います。
個別セッションは毎回、号泣でしたよ。うきちゃんに心の奥底に押し込んでいた黒い塊を引き出してもらう感じ。ひとりでは絶対に開けられなかったし、怖くて直視できないものでした。
——そういった経験を経て、6月の講義「まだ見ぬ美しい未来を描く」のワークで、あんなさんは素敵な未来を描けたと聞きました。
そうなんです。なんかね、自然がいっぱいな絵でした。夕焼けや星空のグラデーションの空の下、植物や海が汚染なく、動物たちが伸びやかに生きていて。その真ん中で、私や周りの人たちはすごくリラックスして笑っているんです。時間に追われず、安心安全な環境って、どんなに最高なんだろうって。あんな世界が描けると思っていなかったから、自分が一番驚きましたね。
——お話を伺って、あんなさんにとって「安心して本来の姿でいられる世界」がすごく大事なのかなと感じました。
本当にそうなんだと思います。子どもの頃からずっと安眠することもできなかったから。その状態が当たり前になりすぎて、スコレの講義やセッションを通してようやく、自分が「安心」を欲していたと気づけたような気がします。
——ご自身に向き合ってから、周りの人との関係は変わりましたか。
人との関わり方は、もう全然違いますね。ずっとうまくいかなかったパートナーシップも、今ようやく前に進めそうな気がしています。私はいくらでも相手に合わせられちゃう人間ですから、あの頃の自分には戻りたくない。疲れちゃいますよね(笑)。今は自分の「無理したくないな、疲れたな」という声が聞こえるようになって、大事にしてあげられるようになってきたなって思うんです。そうしたら相手のことも考えられるようになって……以前だったらもっと相手に依存していたのが、今はお互いを尊重し合えるような関係になれていると思います。
私の“どん底”には意味があったんだと、今は思えるから
——スコレに入ってから、あんなさんは俳句を広める活動をしています。どのようなつながりで、活動が始まったのですか。
もともと俳人の家系に生まれたので、小さい頃から俳句は身近なものでしたが、先生に習って難しい言葉を使って作るイメージが好きではなかったんです。でも、セッションを続けるうちに、私はもっと本質的な俳句の世界が好きだなって。特に祖母が作っていた「誰にでもわかる、飾らない言葉の俳句」はすごく好きでした。後継ぎというわけではないけど、この家系に生まれた私だからできる広め方をしたいなと思うようになったんです。
——あんなさんの俳句は、日常のふとした瞬間をとらえたものが多いなと思います。
まさに俳句って「その瞬間の写真を撮るように文字を読む」というものなんですね。でも、目の前のことに必死に生きていると、そういう“残したい瞬間”すら目に入ってこなかったりする。私の場合、忙しない日々のなかでも俳句を読むことが癒しになっていたんです。みんなが俳句をとおして人生の一瞬一瞬を大切にできたら、本当に幸せなんじゃないかと思っています。
——暮らしや自分を大切にすることを忘れそうになったとき、俳句を読めばちょっと思い出せる、みたいな。
代わり映えのしない日常に思えても、小さな季節の変化を感じるだけで心が満たされることってあるんですよね。ちょっと目を向けるだけで、まだ世の中には素敵なものがいっぱいあるはずだから。小難しい俳句ではなく、もっと自分を癒す俳句を届けたいですね。
——あんなさんだからこそ、伝えられる俳句の世界がありそうですね。
私のひいひいおじいちゃん(高祖父)は「地獄を知らない人は極楽を感じられない」と言っていたそうです。私は地獄のような日々を送ってきたから、このちょっとした癒しを感じられるのかもしれないなあって、今は思うんです。スコレで人生に向き合ってきて、今はちゃんと「全部に意味があった」と感じられる。それが、前に進む力になっています。
——この3年間で、どうしてそこまで変われたんだと思いますか。
たぶん、本当に「もう変わりたい」と思っていたんだと思います。スコレで学んだことを信じて実践するかしないかは、本当に自分次第。しかも、簡単じゃないし、逃げたくなることばっかりですし。でも、自分に向き合うことを続けていきたいなと思うのは、やっぱり“自分のため”なんですよね。この3年で私、本当に生きるのが楽になりましたから。ここから、自分が描いた未来に向かっていくのが楽しみです。
今、どんな場所からでも、人は変われることをすごく実感しています。ずっと人に依存して、誰も信頼できなかった私が、自分も周りも大切にできるようになった。「人々は敵じゃない、仲間なんだ」と何度でも教えてくれたスコレは、きっと多くの人の“見える世界”を変えていく場所だと思います。
Writer: Mana Wilson


